車とバイクに関するメモ

見たり触ったり調べたり改造した車、バイク、カメラや家電に関するブログです。 タント(LA600S)、レヴォーグ(DBA-VMG)、SUPER9S、α6400に関する情報多めです。

20系セルシオ[UCF-21]とのお別れと思い出振り返り

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レヴォーグを購入することにより、約10年間ともにしていたセルシオとのお別れがやってきました。

今回は、そんなセルシオとの思い出話をしようかと思います。

 

 

始めてこのセルシオと出会ったのは約10年前、当時はまだ6万キロほどしか走っておらず、エンジンもボディもピカピカでした。

既に10年落ちの車でしたが、私はとっても気に入っていました。

コーナーセンサーもついていて、人が前を横切るとピーピーとなっていました。

洗車をしているうちに、後ろのコーナーセンサーのカバーは無くなってしまいました…。

また、フロントウィンドウ左側のカバーも知らぬ間にどこかへ消え去っていました…。

サンルーフ仕様でしたので、ちょくちょくサンルーフを開けていました。

雨が降った翌日にサンルーフを開けられ、車内に水が浸入して大騒ぎしたこともありました。

あれだけ静かな車なのに、意外と雨音が天井を打つ音がうるさく、正直レヴォーグのほうが静かなのでは?とさえ思います。

内装は革シートではないものの、さすがセルシオといった感じでした。

私の中でこれが基準となってしまったため、車選びには大変困ることになりました。

終盤はさすがにナビが表示されなくなり、時計の液晶も壊れて表示されなくなり、スピードメーターも表示されなくなり、乗っている途中で「えっ!?えっ!?」となったのも良い思いでです。(スピードメーターは走っている最中に動き出しました)

比較的電装系は弱いと言われますが、あと動かなかったのはシートメモリーくらいで、大変満足していました。

昨今のギラギラした内装が苦手なのも、レヴォーグの質素な内装が好きなのも、セルシオのおかげです。

パワーシートはランバーサポート付きで、レヴォーグの試乗の際にランバーサポートがついていることに驚き、時代は変わったのかも…と感動しました。

ちなみにシートはレヴォーグのアルカンターラシートのほうが好みです。というかめちゃくちゃ好きで、試乗時に感動しました。

ハンドルのチルト&テレスコピックもエンジンON/OFFで動作し、降りるときにウィーンと動くのは気持ちがいいもんでした。

セルシオでは色んなところに行きました。

東は水戸、西は出雲、北は富山まで行ったのに南は三重県民のクセに本州最南端の和歌山どころか南伊勢までしか行きませんでした。

正直大丈夫か?と思いながら新卒時代に就職活動に使ったり、車内の道路を知らずに逆走して「セルシオで逆走してきた人」と認識されたりもしました。

岐阜までサッカー(FC岐阜の応援)を見に行ったりもしました。

応援に東京や京都や富山まで会社の先輩方と一緒に行って、会社の愚痴を聞いてもらいました。

私は運転が好きだし、先輩は楽できるし、最高の組み合わせだったと思います。

何度も狭い道に入ってしまって戦々恐々としながら曲がったり、下がったりしたのもいい思い出です。

幅が広い、長い、というのももちろんなのですが、四隅や後ろの位置が全く見えない(どこまでボディがあるか見えない)ので車両間隔のみで進むことになります。(写真の前部分からさらに10センチは出っ張っている…)

それでも、Aピラーが細いのか、位置がよいのか左右の見晴らしはよく、レヴォーグに乗ったときに「右が見えねぇ…邪魔だよAピラー」となるのは今でも変わりません。

セルシオはパワーがあるので渋滞も苦手でした。

クリープ現象だけで15キロは出るのでスーパーなどの極低速の制限があるところでは

基本ブレーキ踏みながら走るような間隔でした。

また、ギヤの切り替えショックが地味に大きく、渋滞だと「ンーーー、タン、ンー(ブレーキ)、ンーー、タン、ンー(ブレーキ)」と正直もうちょっと一速で引っ張れよとか思ってました。

セルシオに乗っていると、いろんなことがおきました。

大阪で試合前に虹が出て「奇跡や!FC岐阜がガンバ大阪に勝つっていう奇跡や!」と騒いだり(当然負けましたが)、

初任給で買ったヘルシオを届けに向かう実家が泥棒に入られた後だったり、

 愛知の友達の家に向かう途中記録的大雪で国道1号線上で一泊することになり、食料を求めさまよって戻ってきたら車が動き出していたり(ゴメンナサイ)、

その先の道で信号スタートと同時に前の二台のトラックが一斉に横に滑っていったり、上り坂をノーマルタイヤで走ってギャーギャー騒いでいる横で友達は寝ていたり、

台風の中泣きそうになりながら走っている横で友達は寝ていたり、

早朝出雲に向かい眠くてヤバイと思っている横で嫁さんは寝ていたり、

誰とドライブに行っても助手席の人は寝てしまう悪魔の車でした。

セルシオとは色んな時間に走りました。

明け方から大阪に行ったり、早朝友達と友達の先輩を乗せて神戸に行こうとしてバッテリー上がりでピンチになったり、お昼にフラっと走ってみたり、夕方晩御飯の買出しに出て行ったり。

セルシオとは生活を共にする一人の仲間でした。

そんなセルシオともお別れとなりました。

今までありがとう!本当にお世話になりました。

買い取り業者回ったら2万円にしかならなかったけど、そんなのどうでもいいんだ!

結局4万キロほどしか乗らなかったけど、そんなのどうでもいいんだ!

きっと廃車にされてしまうんだろうけど、もしどこかで売れて、誰かを乗せているなら頑張って!

今でも私の車の基準はこのセルシオと前のセルシオ。

つまりいつまでたっても忘れないということだ!

それでは。